9月27日の部会は、部長の柴田尚さんが
「震災とアート/表現による回復」と題して発表しました。
柴田さんは、札幌のアート
NPO S-AIR代表でもあり、これまでも国内外のアート団体と連携してお仕事をされていて、
3.11の東日本大震災で被災した東北にも、知り合いのアーティストやプロデューサーが沢山おられるそうです。
この8月15~17日の3日間、柴田さんは被災地のアートプロジェクトめぐりの旅に参加、その報告会となりました。
「今年、日本が経験した震災は、地域の崩壊と復興、原発によるエネルギー資源の問題、国内の格差や国際的な格差など大きな問題を含んでいます。北海道にいるわれわれは、アートの立場からどう捉え、行動すべきか。様々な調査の元、震災に対するプロジェクトプランを考えてみます」 (柴田さん作成の資料より)
見せていただいた
復興支援地図、緊急出版されたものですが、
被災前の状況と被災範囲、避難所の位置や主な道路の通行規制箇所を
柴田さんのお話とともに、確認。
被災した地域の広大さ、被害の深刻さが、改めてジワジワ迫ってきます。
福島の
和合亮一さんという詩人の方は、
自らも被災し、現場からtwitterで詩篇「詩の礫」を発表し続けたそうです。
http://twitter.com/#!/wago2828それがきっかけとなって、共感するミュージシャン達が集い、プロジェクトFUKUSHIMA!で坂本龍一さんが和合さんの詩の朗読と競演したそうです。
宮城県での宿泊は、気仙沼の風光明媚なリゾートだった
「ホテル観洋」。
現在は、被災された市民・災害派遣・復旧工事関係者・ボランティア活動の方々の拠点として、ホテルが宿泊に全面協力しているのだそうです。
「今、マチから人が出て行って、子供の学区を移してしまえば、もうその家族は戻ってきてくれなくなります。マチに誰も居ない状態にしたくなかったんです」とホテルの方は語ってくれたそうです。
美しかった以前の写真と、震災後の写真が何よりも雄弁です。
別の場所では、30名近くの同僚を津波で失ったという市職員が被災地を案内してくれ、アーティストの相互交流について意見を尋ねた柴田さんに
「ここからアーティストを行かせることより、今はとにかく、ここに来て欲しい」 「自分たちを孤立させないで欲しい」「つながっていたい」 と語ってくれたそうです。
アートの拠点として知られる仙台の
「せんだいメディアテーク」。
チューブを組み込んだ素晴らしい建築だったそうですが、
http://www.smt.city.sendai.jp/smt/about/character/
柴田さんが撮ってきた現在の無残な写真、表現する言葉がありません。
それでも、各地でアートプロジェクトが起こり、
ここで起こっていることをしっかり記録しておくこと、
全員が共有することで、「つながっている」こと、
地域の記憶を新たに取り戻すこと、などが試みられていること、
などが報告されました。
【旅程】
15日 福島
大友良英「プロジェクトFUKUSHIMA!」報告
http://www.pj-fukushima.jp/news/index.html
2011年8月15日、福島で、音楽を中心としたフェスティバルを開催。
また、これをきっかけに様々なプロジェクトを長期的に展開していきます。
地震や津波の被害のみならず、解決の見通しの立たない原子力発電所を抱える
現在の福島では、フェスティバルどころではない、という意見もあるかもしれません。
それでも、いやそんな時だからこそ、現実とどう向き合うかという視点と方向性を
人々に示唆する力を秘めている音楽や詩やアートが必要だと、わたしたちは信じて います。
16日 南三陸
「“生きる”博覧会2011」報告
http://www.asahi-artfes.net/program/2011/2011-6.html
津波で一瞬のうちにすべてが消え去った南三陸町。
人々は、ちりぢりになったその場所から、いつか帰ることを祈りながら
故郷を、そこにあった暮らしを思う。
「この町で生きる」ことへの執着を、「きりこ」でつなぐプロジェクト。
17日 仙台
「3がつ11にちをわすれないためにセンター」報告
http://recorder311.smt.jp/
~ 発信はさまざまな支援活動を応援し、記録は未来への財産となるように。 ~
東日本大震災による甚大な影響に対し、ともに向き合い考え、
復興への長い道のりを歩きだすために
「3がつ11にちをわすれないためにセンター」をせんだいメディアテーク2Fに開設しました。
このセンターでは市民、専門家、スタッフが協働し、
復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していきます。
さまざまなメディアの活用を通じ、情報共有、復興推進に努めるとともに、
収録された映像、写真、音声、テキストなどを「震災復興アーカイブ」として記録保存します。
私の拙い言葉より、それぞれのサイトを見ていただいた方が、よく伝わると思います。
本当に「表現による回復」の試みの数々、アートの持つ可能性を
改めて考えさせられたレクチャーでした。