最後の訪問地はOYOYOらしく、「アルテピアッツァ美唄」(以下、アルテ)。
(撮影:國生隆司)
中の様子などはどうでもよろしい。
ここでは特別に、NPOアルテピアッツァびばいの方からお話を聞く場が設けられました。
(撮影:杉崎英利)
メインスピーカーは美唄市副市長だった坂東知文氏。
行政の立場から、構想段階から現在まで直接・間接にアルテに携わってきたお話を聞きました。
ここからは私の感想です。
美唄市にとってアルテとは何なのか、小さい自治体が巨費をかけてここを整備することの意味は?
旧産炭地域は炭鉱という主産業が崩壊した後、何に活路を求めたのか。
あるものはテーマパークに走りあるものは巨大な箱物に走った。
でもそこにはアイディアはあっても理念がなかった。
美唄市にとって幸運だったのは安田侃(やすだかん)という人物がいたこと。
郷土を作るのテーマパークでも箱物でもなく人だという当たり前のことから出発している。
安田侃という人がいて廃校という場所があって、さてどうするというときにあったのが理念。
それは美唄に住む人や住んでいた人が心の拠りどころにできるものを作ろう、
いつまでも未来に残すために質の高い空間を作ろうという想い。
安田氏も、そこに絡んだ行政も最初の理念から外れることがなかった
質を重視する、数に走らない、理念から外れたことはしない。
それをただ愚直に、長年にわたってコツコツと続けてきた。
それが今のアルテにつながっている。
運営は厳しいものがあるそうですがそれでも基本姿勢は崩さない。
展示会やイベントも基本理念に合わないものは断るという。
目先のことに捕らわれないその姿勢が心地よい空間を生み出し人々から支持されている。
ここは美術館なのか公園なのかアートセンターなのか。
運営側ではそのようなことは考えていない。
そんな分類など全く意味をなさない、ここはアルテ独自の空間なのだからそれでいい。
それだけなのだろう。
美唄でなぜそれができたのか。
それは炭鉱があったころからの豊かな富とそこから生み出された文化があったから。
その美唄の精神性を抜きには語れないであろう。
(撮影:國生隆司)
(撮影:杉崎英利)
ここにあるのは“美唄の心”でした。
終わり
(記事:奥井みさき)